繰り返される事故にもめげず、飼いつづけた文鳥たちのなかで、一番印象に残っているのは最後の子です。この子だけは、事故にも会わず、天寿を全うして☆になりました。飼育環境が変わったからです。祖母が亡くなり、叔母は結婚し、家族は4人になりました。私は、叔母の部屋をもらい受け、はじめて自分専用の部屋を持ちました。その部屋にはも網戸まで付いていたのです。家族もドタバタと入ってきて鳥を踏むこともありません。初めて手乗り文鳥を飼育できる環境が整ったと言ってもいいでしょう。最後の文鳥は、この部屋で飼育されていました。
この文鳥は、ピーちゃんと名づけられました。飼い主がオーディオセットなどを買い込み、様々な音楽を聞き歌う中で育ったピーちゃんは、「人間の音楽に合わせて歌って踊れる文鳥」に育っていきました。
ピーちゃんとの楽しい生活も束の間、学生生活を終えた私は、就職して家を離れることになったのです。しばらくは会社の寮生活。ピーちゃんを連れていくわけにはいきませんでした。会社の寮から自宅まで約2時間、週末には自宅に戻っていたのですが、私が家を離れるのと時を同じくするように、ピーちゃんは具合が悪くなりました。四六時中壷巣に入って出てきません。ケージの前まで行って名前を呼ぶと、嬉しそうに出てくるのですが、手に乗っても寒そうにうずくまるだけです。私が手を動かし始めると、ケージに戻って壷巣に入ってしまいます。直感的に、病気というより寿命だなと感じました。そんな状態が1ヶ月続き、私がいない間に、ピーちゃんは逝ってしまいまた。
最後の時をいっしょに過ごせなかったことが、今でも悲しく思えます。ピーちゃんはいなくなってしまいましたが、その可愛らしさは、私の心に強く強く刻まれました。それは、時にピーちゃんと共に過ごした日々を夢に見るほどでした。そして、いつの日か、もう一度文鳥を飼おうと、心に決めたのです。